青天霹靂

営業部門:Kさん(40代)男性

【はじまり】
2023年1月のある日、この日は出社日。朝が弱いので、眠気を覚ますために朝風呂は欠かせない。みぞおちのあたりに痛みを感じる。悪いものでも食べたかなと思いつつ、着替えを済ませたころには、痛みが増している。リビングのソファーに座り妻に「午前休を取るので病院に連れて行って欲しい」と頼んだ、5分後には痛みがさらに増し、動けなくなっていた。「救急車を呼んで欲しい」
近くの総合病院。CTスキャンの結果、「急性膵炎の可能性が高い、入院が必要なので別の病院に救急車で運ぶ。胆のうに影があり、胆石による急性膵炎だと思われる。」とのこと。次の病院で、造影剤を入れて再度CTスキャンを実施。「急性膵炎のため、即日入院」と言われ、そのまま入院となった。急性膵炎は、点滴で5日ほど入院し、退院後に治療方法の検討になるはずだった。
夕方、消化器内科の医師が病室にきた。「症状の説明をしたい。」から始まったが、「膵頭部に影がある、腫瘍だと思われる。内視鏡を使って細胞を取り検査をする。通常のすい臓がんではないと思う。可能性としては神経内分泌腫瘍か、〇〇、〇〇」と4つほどの病名を言われる。「良性の可能性は低い、残念ながら可能性のあるものはどれも良くない病気」との説明。
急性膵炎の治療の説明が無かったので、確認したら「それどころではない。悪性の場合、胆のうは取るのでどちらにせよ問題ない。」と一蹴された。
「神経内分泌腫瘍とは、どんな病気なのか」と問うと「ネットで調べたほうが詳しく載っている。スティーブジョブスがなった病気。」との回答。
医師が帰った後、「スティーブジョブスって既に亡くなってんじゃん」と思いながら病気を調べた。
4日後、予定通り退院。

【こんなことになるなんて】
検査結果を聞く日。妻は退院してから、「大丈夫。何とかなる。」しか言わない。
がんの診断確定を受ける。病名は「膵神経内分泌腫瘍」、膵臓にできる悪性腫瘍の一種で希少がんに分類される。大きさは4×4cmと大きいのだが、転移は確認されていないので手術が可能とのこと。10日前にがんの疑いが高いと言われたものの、痛みも症状も何もなく、どこか他人事のように感じていたが診断確定はさすがに動揺した。
手術は、「膵頭十二指腸切除術」。膵臓の半分、胃の1/3、十二指腸の一部を切除、胆のうは摘出、臓器がバラバラになるので、つなぎ直すという手術。「外科医に聞いた自分が受けたくない外科手術」の1位らしい。
手術による死亡率は1.5%と説明を受け、「確率高くないか」と医師の前で心の声が漏れる。手術以外の治療はないのかと、複数の粒子線治療施設に問い合わせたが「この病気はうちでは対応できない」「切れるのであれば切ったほうが良い」との話を受け手術することを決めた。
妻にも相談したが、やはり回答は「大丈夫。何とかなる。」だった。

【その後】
入院前に口座情報や保険の情報、何かあった際の連絡先を一通りノートに記載し、妻に渡す。
入院前の1週間は、横浜中華街、ふぐ、寿司、焼肉と好きなものを食べまくった。
入院し翌日手術(9時開始、18時終了)、16日間入院し退院、1週間後に職場復帰した。
幸いなことに、手術の際に採取した細胞検査の結果、リンパ節転移はなかった。
職場復帰後の数か月はテレワークで仕事をし、働き方改革を実感。職場のメンバーに感謝した。
現在は、経過観察中。半年に1回造影剤を入れてCT検査を行っている。

【がんを経験して思う事】
がんと分かった後、自分の体のことよりも、一番は将来の経済的不安だった。仕事を続けられるのか、子供の学費のこと、今後の生活のこと。お金の不安が尽きない。
死亡保障はたくさん入っている。死ぬ分には、家族はそんなに困らないだろうけど、厄介なのは治療が続き働けなくなること。
手術の後遺症とかで働けなくなるのも怖い。患者会に参加して、再発転移の場合、肝臓に見つかることが多く、抗がん剤治療になる可能性が高いことも知ってしまった。
精神的に追い詰められていくが、救ってくれたのは、生命保険だった。医療保険も役に立ったが、何よりも住宅ローンのがん団信で、住宅ローンが無くなったのが大きい。
初めて、生命保険の社会的意義を実感することができた。商品の開発もしていて、誰よりも生命保険の社会的意義は理解しているつもりだったが、頭でわかっていただけで実感はなかった。病気になった時に、経済的な補填ができるのは生命保険だけだと実感した。
自分が企画にかかわった「勇気のお守り」も、理にかなった良い保険だと確認もできた。悔やまれるのは、仕事が一段落したら、そのうち入ろうと思っていて、入っていなかったこと。
病気をきっかけに、自分がやっている仕事に、自信と誇りが持てた。
不安なこともあったろうに微塵も感じさせず励まし続けてくれた妻には感謝しかない。