私が目指すもの

本社部門:Fさん(30代)男性

ひまわり生命に入社してから12年が経った。
仕事をしていると日々があっという間に流れていくが、この「わたしの想いレポート」を、あらためて、なぜ私がひまわり生命で働いているのか、これから先どうしていきたいかを整理する、よい機会にしたいと思う。

時を遡ること13年前、私は大学生だった。米でリーマンブラザーズ証券が破綻し、就職氷河期が続いていた(どうやら私たちは、リーマンショック世代と呼ばれているらしい)。100社エントリーが当たり前と言われる中、そんなに受けても意味がない(面倒だ)と思い、20社ほどにエントリーした。それでも、昔から好きだった製麺メーカー、自動車メーカー、証券会社等色々受けて楽しかった。選考を受ける中、(全く社会経験など無いのに生意気に)ひまわり生命はいい会社な気がするな。と感じ密かに志望度が高まっていった。そんなとき父親が「肺がん」に罹患し、入院・手術をすることになった。手術室に入っていく姿・医者に見せられた切除された肺・術後の辛そうな姿を今でも覚えている。そして、私はそれまで父親のことがあまり好きではなかったが、就職活動で父親世代と接するうちに、毎日気楽に生きる私の反面、毎日苦労して働き、無理もしていたのであろう父親を少し理解できるようになっていた。

そうこうしているうちに、ひまわり生命に内定をもらい、漠然と生命保険会社なら人の役に立てると感じ入社を決めた。
入社後は営業店に配属され、失敗をしながら、代理店さんとともに働き、神奈川や大阪の2場所を経験、その後、官公庁に出向した。政策局という政策に係る企画・立案・推進の部署で、議員、企業、国や自治体の様々な関係者と接触し、いろいろな経験をしたが、どこか色物扱いや他の官公庁職員との壁・疎外感を感じていた。
そのとき、選択肢は2つあった。

  1. 出向先の職員により合わせて働くようにすること
  2. ひまわり生命社員としての今を変えずに働き続けること

悩んだが私は②を選択して2年目を迎えた。逆に、グループ理念の「安全・安心・健康」や、ひまわり生命が目指している「健康応援企業」について話す機会を増やしていった。結果、SOMPOのパーパスや、ひまわり生命のビジョンに共感する人たちを増やすことができ、「SOMPOって面白いですね」「ひまわり生命っていい会社ですね」と言われたときには、自分のことのように誇らしかった。
帰任を意識し始め、季節も暑さが落ち着いて来た頃だったと思う。「自分たちがいなくなっても、この関係をきちんと形に残そう」という話になった。そして、その年の12月にひまわり生命・損保ジャパン・出向先である官公庁の3者間による連携協定を結ぶに至った。コロナ禍で締結式等は省略したが、感染者数が落ち着いたタイミングで3者合同での説明会を実施。ひまわり生命・損保ジャパン・出向先官公庁から出席者が多く参加し、胸が熱くなる想いがした。

現在は再び会社に戻り働く中、私はこれから先の夢として次のことを実現していきたい。
「家族・会社とともに自分自身が成長し、自分のできることを拡大させ、会社を通じて社会に貢献すること」

私はこれを実現し、子供にとって誇れる父親になることが夢だ。