2014年2月、大雪の日に母が入院した。正月に会ったときには「年末まで風邪をひいていた」と元気に振舞っていたが、その後階段を上るだけで息切れするほど体調が悪化した。雪が積もる中で父が病院に付き添ったが、待合室で気を失い即入院となった。
父から「原因不明の貧血らしく意識が朦朧としている」と連絡を受け、居てもたってもいられなかったが交通機関が麻痺して家を出ることさえ叶わなかった。
翌日、一般道の立ち往生が解消したというニュースを見て病院に向かった。運転に集中しようとしたが、母が命にかかわる病気だったらという不安が渦巻き、昔の母の姿が繰り返し頭の中に浮かんだ。
夕方病院で会った母は、顔色は白かったものの点滴と輸血で少し元気を取り戻していた。運よく病院で倒れたので、適切な治療を受けて意識を回復し、検査結果も重篤な病気ではなく、安堵した。
その夜、料理している姿を見たことのなかった父が、鍋と冷奴を作ってくれた。
2018年3月、今度は父が入院した。1年前に脊柱管狭窄症と診断され、足のしびれが徐々に進行、正月にはほぼ歩けない状態となり、高血圧も悪化しみるみる衰える姿に衝撃を受けた。「高齢なので手術しても元に戻らないこともあるらしい」と元気なく笑う背中が小さく見えた。良くなってほしいと願いつつ、腰の悪い母に老々介護はさせられないと一人で実家近くの介護施設を検討したが、身近に相談相手もおらず不安な気持ちの中、経済的な負担の大きさに愕然とした。
手術の翌日、まだ寝たきりだろうと思い病室に入ったら、「さっきまでリハビリをしていた」とベッドから起き上がり、談話室までの20メートルをゆっくりと歩いて見せた。「毎日ウォーキングして半年後にテニスを再開する」と精気を取り戻した姿を見て、母とともに安堵した。
年齢を重ねたら、いずれ父も母も病気・けがのリスクが高まるのだろうと認識していたが、想像より早くそのような事態が訪れ、精神的にも肉体的にも非常に負担がかかった。しかし、その過程を通じて家族との絆を再確認でき、支え合う大切さを感じることができた。
また、健康が当たり前ではないと知り、父と母が二人とも健康を回復できたことに感謝した。
健康は当たり前ではない。
これからもお客さまの明るい未来のため、万が一をできるだけ遠ざけ、毎日の健康を守っていきたいと強く想う。