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【体験談】病院勤務の私が!?35歳、子ども3人で乳がんに...経験したからこそ気づいたこととは。

臨床検査技師として大学病院で勤務していたエリコさん(仮)。ご自身が35歳の時に乳がんと告知されました。がん治療時に家事や育児で周囲のサポートを受けた経験から、定年後の現在は、世田谷区で子育てのサポートをする援助会員として活動しています。早期発見だったため全摘出をされて完治されたそうですが、その時の状況を教えて頂きました。

子育ても、仕事もこれからのタイミングで「乳がん」を発症

乳がんに気付いたきっかけについて教えてください。

乳がんの告知を受けたのは、平成3年の頃で私は35歳でした。9歳の長女と5歳の長男、3歳の次女の子育てと、臨床検査技師として15年間の病院での勤務を両立していて、忙しい毎日のなかでも充実していた時期でした。

その日の朝、着替えの際になんとなく左胸の上部に触れたときに「しこり」のようなものがあることに気づきました。運動が好きで体が丈夫な方でしたし、大きな病気の経験もありませんでした。乳がんについて意識したことはなく、普段からセルフチェックをしていたわけでもないので、本当に偶然だったと思います。

自分でも信じられませんが、その日は29年前に食道がんでなくなった父の命日でした。虫の知らせというわけではないですが、なんとなく朝からがんについて意識していて、その日のうちに勤務先の病院で検査をして、後日初期の乳がんと診断されました。

窓を見つめる乳がん経験者のエリコさん

乳がんの診察を受けた際、どのような気持ちになりましたか?

勤務先の病院で知っている先生で診断を疑いはしませんでしたが、「ウソ!!本当に私が?」という気持ちでした。すこし落ち着いて現実を受け入れてからは、自分の事よりも子どもや家族の心配で頭がいっぱいになりました。「まだ下の子は小学生にもなっていないのに将来どうなるのだろう」とか、共働きだったので「これから教育費がたくさんかかるのに働けなくなったらどうしよう」と。

ただ、見つかった乳がんはステージ「1」の早期発見で、勤務先の病院の先生からは「ちゃんと治療すれば完治する可能性が高い」と言ってもらえたので、冷静に乳がんに向き合うことができました。また、病院で働いているので、たくさんのがん患者さんと接してきましたが、状態が深刻になるのは発見が遅れた患者さんだったことが多かったため、早期発見の自分は「まあ、治るでしょう」と深刻に受け止めずに済んだと思います。

ライターコメント

乳がんは女性の部位別がん罹患数においては、2位の大腸がんを大幅に多いトップであり、日本人の全女性の9人に1人がかかる病気とされています。また、ステージ1以下で治療できれば5年生存率は99.9%※あるなど、早期発見・早期治療ができればがんのなかでは生存率は高いのも特徴です。一方、初期症状が「しこり」の有無程度しかないため、自覚症状が少ないのでセルフチェックが特に大切になります。

乳房の部分切除を選択。「100%は元に戻らない」日常との向き合い方

乳房部分切除術を選択されたとお聞きしました。詳しく教えていただけますか?

がんの広がりが小さく、ステージも1だったため先生から「乳房部分切除術」をおすすめいただき、私も迷うことなく決断しました。手術もなるべく早く実施してほしいことも伝えました。「手術が怖い」という気持ちもゼロではなかったですが、それよりもせっかく早期発見できたがんを迷って放置する方の恐怖の方が勝っていました。また、私が勤めている病院で手術を受けられることや「術後も乳房の形を維持できる」ことも背中を押してくれた理由でした。

術後の治療と日常生活について教えてください。

思ったよりも早く回復したという印象でした。一カ月もあれば日常生活を普通に送れるようになったと思います。ただ、やはり乳がんになる前と完全に同じ生活を送れるわけではありませんでした。数カ月に一度は診察を受けなければいけないし、フォローアップという形で薬を10年間飲み続けました。副作用とか体調が変わったといったことはなかったですが、退院して自宅に戻り、いつものように洗濯物を干そうとしたときに腕がほとんと上がらなくて「え、一生このままだったらどうしよう」と衝撃を受けました。実際はリハビリのかいもあってすぐに良くなりました。

笑顔で語る乳がん経験者のエリコさん

家族の皆さんとの接し方は何か変化がありましたか?

大きな変化はなかったですし、みんな変化を生じさせてないように配慮してくれたのかな、とも感じています。

子どもたちには手術をするよとそれとなく伝えましたが、幼かったのでどれだけ理解していたかはわからないですし、入院中でもちょこちょこ外泊で自宅に帰らせてもらっていたので、実感はなかったと思います。

一番大変だったのは夫かもしれないですね。なにかと手のかかる年齢の3人の子どもの世話と家事、仕事を私の分までやらなければならなくなりましたから。ただ、元々家事を分担していたこともあってか淡々とこなしてくれていたと思います。あと、本当に大変な時は義父母も手伝ってくれました。みんなには今でも感謝しています。

ライターコメント

医療の発展により、乳がんをはじめとした多くのがんは「不治の病」ではなくなりつつあります。一方、エリコさんのような患者さん自身や周囲の人たちを含む「がんサバイバー」としての人生は、お金やメンタルなどさまざまな面でがんになる前とは異なるケースが多いです。将来を見据えて保険や貯金、資産形成などがんになる前からある程度、備えておく必要もあるのではないでしょうか。

乳がんになって気付いたことと、変わったこと。

乳がんの診断、手術、治療を経験して気付いたことはありますか?

たくさんありますね。まずがんになって一番に感じたことは、自分の子どもがこれから進路や将来について迷ったとき、その横にいて相談に乗ったり、見守ってあげられなくなる可能性がある、ということを実感しました。そのために少しでも将来的な助けとなれるように、自分がいなくても受験や将来に困らなくて済むように、大学付属の高校や中学校に入れてあげたいと思うようになりました。
また、がんになる前と同じように共働きで働けるようになりましたが、子どもたちのためにも健康に対する意識が変わり、スポーツジムに通って運動をするようにしています。

あとは、乳がんと診断を受けるだけで少なからず負担が生じることを身をもって知ることが出来ました。乳がんの戦いは長く、生活の変化に戸惑いながらも進み続けなければなりません。だからこそ、私ができることは限られていますが、困っている人がいたら家事や育児など手助けできることはしてあげたいなと思い、世田谷区のファミリー・サポート・センター事業の援助会員になり、お子さんの保育園の送り迎えや、親御さんが返ってくるまでの子どもの預かりなど、同じように共働きで働くお母さん達をサポートしています。

最後に、他の乳がん患者やその家族に対してメッセージをお願いします。

乳がんは早期発見・早期治療できれば治る可能性がとても高い病気です。私は35歳とがんの進行も早い年齢だったにも関わらず、早期発見できたことで今でも元気に生活できています。毎日、神経質になる必要はないですがぜひ自分の体の変化には敏感になってあげて、しこりなどが見つかった際はすぐに専門の医療機関に相談してください。

ライターコメント

ちなみに、エリコ(仮)さんの乳がんが発見されたのは、がん保険に加入されてからわずか1年のことでした。がんと診断されて一時金で100万円をもらえたので退院してから、心配やサポートをしてくれた親戚へのお礼として「かに専門店」をご馳走されました。当時、初めて「かに専門店」に行ったご親戚一同は、かにの作法を知らなかったようで、テーブルに置かれたフィンガーボウルが何かわからず、カニをつけて食べたり、飲んでみたりしていた、と笑いながら話してくださいました。ご自身のお子さんは就職や結婚もされてお孫さんが5人もいらっしゃるそうですが、それでもまだ、地域の働くお母さんのサポートに積極的に参加する、活力あふれる笑顔の素敵な方でした。

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